今回は、自分の心の奥にしまいこんでいる気持ちについて書いてみようと思います。
こういうことを書けるのが、ブログの醍醐味かなとも思うので。。。
と言いつつ、何かとても悪いことをしている気がして緊張しながら書いています。
このタイトルを見て、心が動いた人に最後まで読んでいただけるとうれしいです。
母が重い…自分の気持ちに気づいた出来事
今振り返ってみると、「母が重い」と認識するようになった出来事が3つありました。
少しずつ「重い」という「思い」は、ステップアップしております。(-_-;)
①放蕩記
今からちょうど10年前、村山由佳さんの『放蕩記(ほうとうき)』が出版されました。
母と娘の葛藤を描いた村山さんの自伝的小説で、当時話題になりました。
たまたま観ていた「王様のブランチ」で、村山さん本人がインタビューに答え、作品に込めた思いを語っていらっしゃいました。
私は本の内容と著者のインタビューを聞いて、居ても立っても居られなくなり、すぐに本屋さんへ。
まだ子育て中で、読書できる時間も限られている中、「こんな気持ち、文字にしていいの?」と、ハラハラしながら夢中で読んだのを覚えています。
小説になるだけあって、『放蕩記』の中の母親(著者のお母さま)はかなり強烈。
そして、そんな母親に対する娘の複雑な感情…著者本人のこれまでの人生から溢れ出る生々しい本音の言葉は、かなり衝撃的で、心に刺さりました。
私と母の関係は、ここまでドラマチックではありませんが、母親に対する娘のリアルな心情には、自分と重なる部分がたくさんありました。
私はこの時、「『放蕩記』という作品に強い興味を持った自分」、「本の内容に心を揺さぶられた自分」に、自分自身でもビックリしてしまいました。
なんだかうまく言えませんが。。。
この『放蕩記(ほうとうき)』という本がきっかけで、アラフォーにして初めて、「自分の中にも母親に対する複雑な感情がある」ことに気づいてしまいました。
②子供の受験
私は結婚後、実家の近くで暮らしていて、両親の助けを借りながら仕事を続けてきました。
2人の子供たちは、保育園の先生と両親に育ててもらったようなものです。笑
私が子供の頃は、好きなことが言えないくらい怖かった父親も、孫にとっては優しく温厚なおじいちゃん。
世話好きで料理上手な母は、子供たちの胃袋をがっちりつかみ、母親代わり。
わが子とジジババの関係は、いたって良好で、その点に関しては感謝しかありません。
が、親代わりのような存在が不都合に感じたのは、子供の高校・大学受験の時期です。(田舎なので、幼・小・中の受験はしていません)
父は、母ほど孫育てにのめり込んでいなっかったこともあり、孫の受験にも興味がない様子でした。このスタンスは、とても助かりました。
しかし、問題は母です。
「孫が可愛い → 心配」
分からなくもないのですが、母親の私以上に食事などの健康管理、受験校の選択など、細かいことを心配する(口出しも然り)ようになりました。
子供たちから「かまわないでオーラ」が出ていることにも気づかずに、母の干渉はパワーアップ。
ナーバスになっている子供と、孫の世話を焼きたがる母の間に入って、調整役の私はへとへとです。
おまけに、「心配で夜も眠れない…」と言って、母の方が体調を崩してしまう始末。
「母を心配させないように、母が落ち込まないように、なんとか無事に志望校に受かってほしい・・・」
こんなバカみたいなことを考えていました。
あー純粋に(安心して?)子供の受験のことだけ考えたい!
私だって受験生の母として不安でいっぱいなのに、なんでこんな時にまで、母を気遣わないといけないのか。。。
もちろん、母から心配してほしいと頼まれたわけではありません。
無意識のうちに、子供のことより母の不安を取り除くことに注力してしまう、母がどう思うかを優先してしまうのです。
ホントにもう、自分のことがイヤになります。
子供たちの進路は、2人とも微妙に希望通りにはいかなかったのですが、その時も安心して落ち込むことはできませんでした。(笑)
だって、私より先に母が落ち込むから。。。
と、明るい娘を演じてしまった私。
子供たちにとっては、それでよかったのかもしれませんが。。。
でも本当は、母親の前で弱音の一つも吐きたかった。
すっかり肩を落としている私に対して、
「受験で人生が決まるわけじゃないわよ!」とか、「母親のあなたがくよくよしてどうするの!」とか言って、背中をバーンと叩き、大らかに笑い飛ばしてほしかったなぁ。
いい年をして、甘えたこと言ってますけどね。
③子供の巣立ち
2人の子供は、大学進学を機に家を出ました。
今まで孫育てが生きがいだった母にとって、これは大事件でした。
実はこの頃、私も「空の巣症候群」になり体調を崩してしまったのです。
「母が重い」と感じていた私自身も、子供への依存が強かったという…なんとも皮肉な話です。
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私が【空の巣症候群】を克服できた5つのこと
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もともと父とは惰性で一緒にいるという夫婦関係なので、孫がいなくなった母の生活は、本当に味気ないものとなりました。
そうなると、どうなったか…
心の拠り所は、もうすぐ50歳になろうとしている娘です。
立派な中年になっていても、娘はムスメ。
何かと私の心配をするようになりました。
家が近いので、時々夕飯のおすそ分けをもらうのですが、遅い時間になっても帰宅していないと、心配してすぐに電話がかかってきます。
休みの日も、何かにつけて電話がかかってくるので、出かける前に行先や予定の帰宅時間を知らせるということが習慣になってきました。
母に電話している私を見て、夫は「大変だね」とからかってきます。
全く理解できないのだと思います。当然です。
やっぱり私がおかしい。
私って、いつまで「ムスメ」でいなきゃいけないの?
もう、いい加減自由になりたい!
こんな思いは、日々強まるばかりなのです。
人生100年時代。母娘の関係は続く…
母の母、つまり私の祖母は84歳で亡くなりました。
今思うと、祖母は70歳を過ぎた頃から「おばあちゃん」という呼び名がしっくりくる雰囲気で、食事などの家事はすべておばに任せ、隠居生活をしていました。
歩く時も杖を手放せなかったと思います。
一方、亡くなった祖母の歳に近づいてきた80歳の母は、杖をつくどころか、自転車に乗って買い物へ行き、家事もすべてこなしています。
一世代違うだけで、こんなにも違うものかと驚きます。
母親がまだ元気であることを心から喜んでいる一方、母と娘の関係が長く続く負担と不安も感じています。
「こんな親不孝なこと、誰にも言えないし言うべきじゃない…」
10年前に「放蕩記」を読んだ後も、ずっとそう思ってきました。
ところがここ数年で、「母娘関連」の書籍や雑誌の特集などが急に多くなりました。
「結構、私と同じ思いの人がいるんだな」と、心が解き放たれた感じがしました。
最近読んだ酒井順子さんの「ガラスの50代」にも50代の娘たちの母に対する本音が書かれていて、共感させられました。
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いい子でいるのをやめれば、楽になれるのか?
今後、自分の気持ちにどう折り合いをつけて母と関わっていけばいいのか。。。
私の中でも、まだまだ整理できない重い感情ばかりです。
でも今回、勇気を出してブログに自分なりの思いを吐き出せたことが、小さな一歩につながったような気がしています。
私と同じような気持ちで悩んでいる方がこの記事を読んで、「自分だけじゃないんだ」と、少しでも心を軽くしていただけると幸いです。(*´-`)
とりとめのない話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!